雨男に端を発する思考の飛躍

前の日記で雨男になってしまった友人のことを書いたが、その雨男について考えていたら思考がかなりぶっ飛んでしまい、それがなんだか面白かったのでメモっておこうと思う。
雨男とか晴れ男って、不思議なものだと思う。科学の力では証明されてはいないが、自分は雨男や晴れ男は存在すると思う。というか、いたら面白いからいてほしいな、と思う。あ、もちろん雨女と晴れ女もね。ただの統計上の結果だけを見ているからそんなものが存在するのだ、と言われればその通りなのかもしれない。しかしもっと肯定的に考えて、雨男や晴れ男がまだ解明されていないなんらかのチカラを発揮すると天気が変わるとする。しかし天気というものは、ある原因があったからといって、それに対する結果が瞬時に現れるものではない。そうすると、雨男や晴れ男の行動と天気の移り変わりは、事前に何者かによって計画されていたりするのかな、と思ってしまう。
で、ここまで妄想して、ふと思い浮かんだのが以下のフレーズ。

大空の偉大な計画にしたがって
星たちが喜ばしく飛んでいるように
友よ 君たちの道を歩け
勝利に向かって進む英雄のように
君たちの道を歩いて行くがいい

「計画」つながりで思い出した。シラーの歓喜の歌の一節。ベートーベンのいわゆる第九に使われている詩なのだが、この部分がとても好きだ。ここだけ読み返してみると今の季節にぴったりだなと思う。自分の周りには春から新生活を始める人が多いので、この際その人たちに贈っちゃいます。自分もそうだけど、新しい生活を楽しみましょう!ってことで。


なんだかまとまらない上に文章の流れが飛躍しすぎだな。まあ、妄想を文章に起こしたらこんなもんか、と、最後にいいわけしてみる。もうちょっと思ったことをうまく伝えられるようになりたい・・・