何でもできるということは何にもできないということ


パソコンとかを使って音楽をやってる人たちによるイベントに行ってきた。楽器の生演奏を聴けるライブとも違って独特の雰囲気だった。道具が変われば音も変わるわけで、こんな音も世の中にはあるんだなと思った。
音を物理的に考えると、パソコンという楽器を使って音を奏でるということは、どんな音でも出せてしまうということでもある。音の要素には周波数とエンヴェロープがあり、このふたつによって音の高さ、大きさ、音色が決まってしまう。つまり、このふたつの要素を自由に操れるパソコンという楽器は、音というものに対して無限の可能性を持っているのではないかと思う。現実的にはインターフェースであるソフトによって何かしらの制限はあるのかも知れないが。しかし、アイディアと労力があれば、単体の楽器よりは多様な音を出せるのだと思う。
ある人の音楽を聴きながら思ったこと。そういう何でもできてしまう道具を使っているからこそ、使う人がやりたいことをはっきりさせておかないと、まとまりのないものしか創り出すことができないということ。その人の音楽からは、いろいろやろうとしてとっちらかっているなーという印象を受けた。
あれもこれもできるからといって手当たりしだいに手を出すのではなく、自分のやりたいこと、貫きたいことを持って、自分らしさをとんがらせていかなきゃならないなと思った。